2024秋|期待と活力が高まる季節に思うこと

庭園に浮かぶ紅葉

9月〜10月の秋の始まり。僕は毎年この季節には、何故だかこれからの日々に期待感が高まります。
しかもそれは私個人だけの感覚だけでなく、周囲にも同様の感覚をお持ちの方もちらほら。
みんなそうなのかな。
「〇〇の秋」という言葉にもあるように、何かを始める人が多いこの季節。その言葉が生まれた理由を考えながら、物思いにふけった内容を記してみよう。

目次

どうして秋にはワクワクが溢れるのだろう

月並みな表現で、秋は涼しくて好物の栗も美味しく、花粉症の僕にも優しくて大好きな季節です。
散歩に出歩いてみると、秋の空は高く、ひんやりした空気が乾燥気味な肌に触れます。
するとそれが、このあと始まる厳しい冬を予感させ、ますます僅かばかりの秋の時間を味わうように伝えて来るようです。

毎年この時期には、何か新しいことを始めてみたり、やってみたかったアレコレに思いを馳せ、またこれまでの暮らしを振り返って内省する心情になってしまうのです。
なぜ秋には期待感が高まるのか?僕が思う理由は2つあります。

①期の節目:目標立案や振り返りの時期に該当し、新たな心構えを掲げる時期だから
②気候の節目:過ごしやすい気候に移り、肉体的・精神的に余力が生まれるから

誰でも浮かびそうな要因で先行き不安ですが、まあ記録用に残しておこう。
個人的な日記を見返しても毎年9月の様子は似たものであり、根拠はないが事実はあるということで。

時間や季節の捉え方 の不思議

挙げた理由はどちらも時間や季節に関する環境要因でした。
「①期の節目」の点だと、特に日系企業であれば年間の上期/下期の境目が該当しますし、教育機関では2学期・後期が始まる時期です。期を跨ぐに際し、前期の振り返りや今期の目標設定をする組織も多いことが容易に想像できますね。
特に職務内容が大きく変わらない場合には、前期の反省や未達項目を明確にしやすいため、反省を踏まえてよりチャレンジングな目標を掲げるほか、期待される責務を果たすためにこれまでと違った何かに取り組む姿も想定されます。ワクワクする一方で、ここで注意したいのは高い理想や抽象的な目標を空想してしまわないことです。曖昧な目標を掲げた場合、振り返り時には理想と現実のギャップに落ち込んだり、差分を明確にできなくなってしまいますからね。

さて、上記とは異なるケースとして、職務内容や所属が期を跨いで変わる場合(転職・異動や研究室への配属、進学など)のような、個人が置かれるポジションやシチュエーションが変わる場合を想定してみよう。
この場合、秋に抱く感覚には変化があるのでしょうか。

新しい環境への適応のため新職務や目標をまえにギアが一段上がる人もいる一方、果たして多数がそうなのでしょうか。慣れない環境への不安や焦燥によって、まずは毎日に適応することに勤しみ、日々を乗り越えることに安堵するケースも多いように思います。僕自身もそちらのタイプの人間ですし。
この場合にはもはや新しいことにワクワクというよりも、むしろ既に新環境に置かれたことで「新しい事物に取り組む」刺激に晒されて、他に何かを求める状態にはないのかもしれない。

「②気候の節目」の観点では、少なくとも猛暑の真夏を抜け、日中過ごしても体力に余裕はあるし倦怠感もない。夜間に寝苦しくないから、心身もより健康的だ。
体調が良いと余裕も生まれるからなのか、日々の生活もペースダウンして空想を描いたり、喧騒とした日々から少し身を引いて自身の目標や立ち位置を客観的に見つめ直すことができる。

そうであれば、日常的に体力を向上させて余裕を持たせておけば、季節を問わず活力満載なのだろうか?
社会人の中には仕事帰りにジムに行き、週末は遠方に旅行して仕事バリバリのライフサイクルを営む人も噂に聞くが、そういう類の活力の源はやはり体力なのかな。
今年の秋はスポーツの秋と銘打って、ランニングにでも出掛けてみようか。

今後の検討事項として:異なる生活リズムや文化圏の人々ではどうだろう


動植物が「暖かくなったから芽を出し、繁殖を始めたり、巣穴を引っ越したり」というような環境や気温依存の生活様式を営んでいることを思うと、「②気候の節目」に起因するマインドの変化こそがヒトの本質的な感情なのかもしれない。一方で、やはり自覚しやすいのは「①期の節目」であり、僕自身が影響を受けやすいのもこちらだ。月曜日の方が何かと気持ちは新しくなりやすいし、年明けや年度はじめには通信教育や英会話教室も賑わっている。

では、学期や半期の区切りが日本社会と違っていたり、期をまたぐ時期の季節や気候が日本と異なる生活圏文化圏では、秋ならではの上記の感覚はないのだろうか。猛暑に期初を迎える国(実際に該当する国は分からないけど)では、暑さこそがトリガーとなって期待が高まったり、情緒豊かに内省したりするものなのだろうか。
うーむ、分からない。確認してみたいな。

企業経営上の上期/下期や、学校の学期などはそもそも社会が決めた時間軸の枠組みであって、人間社会以外で規定されているものではない。それにも関わらず、期のはざ間だから(他にも、月初だから・正月だから・月曜日だから)とスタートラインを引き直して、そこから始まる期間に何かを成せると高揚するのはいい気持ちがする。それなら、いつでもどんな季節でもスタートラインを引いても良いんじゃないか・・‼︎

社会規範の定める期日の区切りによって、感情が左右されている自分に不思議な感覚を覚えつつも、この感情を上手にコントロールしていきたいものだ。

あとがき

いつでもスタートラインが切れるはずなのに、何故だかキリがいい時期や季節を選んでしまうもの。
ダラダラと始める時期を悩む前に、まずやってみなきゃなと内省しました。

例に漏れず、10年ものの自筆日記を見返すと、2.3年前にはサステナビリティ分野に没頭して学習していた。
ゆっくりと自分を見つめ直すと、普段は気に留めないものの関心のある分野に気づくことができるものですね。今年はランニングの秋にすることに加え、何を勉強する秋にしようか。

何かに取り組むにはもってこいの秋。私も一ヶ月ぶりにこの編集ページに帰ってきて自分を奮い立たせています。皆さんも今日をスタートラインに一念発起してみては!

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